一緒に戦ってみて、こんなにも頼りになり、かつこんなにも気持ちのいい選手は浦和レッズ史上でもそうそういない。魂の守備で、炎の得点力で、何回もチームの危機を救ってくれた。浦和レッズへの貢献度から言っても、トップクラスの選手であろう。
そんな選手を今回クラブは切ろうとしている。事実としておそらくそうなるであろうということは数多くの報道からも類推でき、かなりの確率で現実のものになってしまうだろう。それがいいとか悪いとかではなく。
闘莉王という選手は管理型の監督とは必ず衝突、逆に自主性を重んじる監督には心から忠誠をみせる。ギドは後者であり、フィンケは間違いなく前者であり、こうなるのは自明の理だったということはシーズン前からなんとなくみんな気づいていたことなんだろうな。思えば、今シーズンの始動の時に闘莉王は代表合宿でいなかった。新しいやり方に対して戸惑ったままシーズンに入り、失点を重ねていくチームにいらだち、自分の不甲斐なさを責めたこともあったと思う。
いったい闘莉王は何に対して不満を強めたんだろう?わざわざ苦手なことをやらせるフィンケのやり方か、はたまた今までのサッカーをクラブ自身に批判されたことか。新しいサッカーに対しての確信を闘莉王の中に芽生えさせることはできなかったし、フィンケが十分に説明して納得させることもできなかった。納得していないのは闘莉王だけじゃないだろう。勝利が最大のモチベーションで、しかもそこそこ勝ってきた選手にとって、これまでの栄光を否定するかのような動きはとまどいにしかならなかったろう。「選手を大事にしてほしい(闘莉王)」というコメントは、そんな気持ちのあらわれなのではないだろうか。
歯がゆい思いをしていたに違いない。常勝と言われるチームであっても、手放しで賞賛されたことはほとんどなく、「つまらないサッカー」「将来性のないサッカー」「○○頼みのクソサッカー」と言われ続けた。自分も正直そう思っていたし、今でもそう思う。それこそが中の選手と外のサポーターのギャップなのだろう。
最後の整列の時、闘莉王はそっぽを向いていた。ビジョンを見ていたのかもしれないし、サポーターを眺めていたのかもしれないが、あの姿が今シーズンの浦和レッズの真実なのだろう。大野勢太郎の本をわざわざ買わなくても実際に目の前で見せてくれた。
ただ、ああいう状況になったのを決して他人のせいにしないでほしい。昨年、オジェックを追い出したあとに勝ちまくっていればフィンケは来なかったし、ワクワク感いっぱいのサッカーを展開していれば勝っている事に対する批判もなかったろう。
クラブは新たなメンバーで戦うことを選んだ。それがいいか悪いかをクラブ自身が証明できればいいが、やるのは選手だ。自分には、来年を見通す見識がない。大分がナビスコで優勝したにも関わらず降格してしまったように、サッカーでは何が起こるか分からない。クラブの舵取りとバックアップに期待しつつ、あの歳になって極東のクラブを率いる事になった老将の2年目がいい年でありますようにと願うほかない。もちろん自分は期待しているし、一生懸命に応援するつもりでいる。
サザンの「ひき潮」という曲がある。その一節を引用したい。
夢に向かって歩いて行こうよ
悔やむことなく明日を生きようよ
これから先は違う道でも
互いのために生まれ変わろうよ
僕らのヒーロー、田中マルクス闘莉王に言いたい言葉は一つ。
「最後まで全力で戦ってくれてありがとう。」